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「日本舞踊の可能性」公演 公式サイト
日本舞踊の可能性vol.1 第1部 鷺娘 より
撮影:©瀬戸秀美
日本舞踊の可能性公演のこれまで
「日本舞踊の可能性」公演シリーズは、2018年にスタートした。
その前年の2017年3月から7月、藤間蘭黄は、文化庁文化交流使として10ケ国14都市で活動。ウクライナのキーウでは『展覧会の絵』を、ムソルグスキーの音楽のモチーフである「キエフの門=黄金の門」に特設舞台を組んで初演した。史跡に運び込まれたピアノで木曽真奈美が演奏。協力・共演は、当時、国立バレエ学校芸術監督だった寺田宜弘。国立バレエ学校の可愛らしい生徒たちも出演した。
同年秋には、「身体と衣裳」をテーマとしたインドのビエンナーレから誘われた。歌舞伎舞踊の衣裳の「引き抜き」や「ぶっかえり」を映像で見せるという試み。そこで蘭黄は、着物と袴という「素踊り」で『鷺娘』を、衣裳を付けた祖母・藤子、母・蘭景の映像もとともに踊った。
どちらも想像以上の反響だった。『展覧会の絵』は、初演翌日、キーウの中心のソフィア広場で、さらに翌年にはウクライナ国立歌劇場でも再演した。ピアノ演奏でバレエ・ダンサーと踊っても「日本舞踊」ならではの表現法でドラマが伝わったことに手応えを感じた。『鷺娘』では、衣裳付けの華やかさと素踊りの妙味を同時にアピールできた。
この2作品を日本で上演したい! と、自主公演を決めた。自主公演は、「蘭黄の会」としてほぼ毎年行ってきた。ただ、それはあくまで「自己研鑽の場」。今回はそれと同時に、海外活動であらためて感じた「日本舞踊の根源的な力」を、バレエやピアノや映像など他ジャンルとのコラボレーションを通じて伝えたい。「日本舞踊にはまだまだ思いもよらない様々な可能性がある」ことを探っていきたい。そうなると「蘭黄の会」とは趣旨が微妙に異なる。ということで別企画を立ち上げ、「日本舞踊の可能性」というタイトルにした。継続を念頭におき、vol.1とした。
vol.2は、2019年の秋。その年の1月にロシア3都市(モスクワ、サンクトペテルブルク、ウランウデ)で2公演ずつ行った『信長-SAMURAI-』の「凱旋」。この作品は、2015年に国立劇場、2017年に東京国際フォーラムで上演しているが、自主公演はこの時が初めてだった。スター・バレエ・ダンサー、ファルフ・ルジマトフ、岩田守弘との創作過程から、「古典の基礎が最も大切」「それぞれの分野の得意技で勝負」ということは、誰が言い出したわけではないが3人の総意。つまり、バレエ風の振付に蘭黄が添うのではなく、バレエダンサーに日本舞踊風の動きをしてもらうのではない。それは、vol.1のプログラムに蘭黄が記載している「先人が築き上げた古典の力。その潜在力を見出し、感じていただきたい」という言葉につながる。自主公演で行うには大きすぎる規模だったが、色々な方の協力で実現することができた。
日本舞踊の可能性vol.2 第2部 信長ーSAMURAIー より
撮影:©瀬戸秀美
日本舞踊の可能性vol3 第2部 禍神 より
撮影:©瀬戸秀美
2020年夏に予定していたvol.3は、東京文化会館で生オーケストラでのオリジナル作品『GOSAMARUー勇者たちの物語』という内容だった。だが感染症が蔓延。延期を余儀なくされた。先が見えないなか、規模を縮小、リスクを軽減し、新たな企画を準備した。
2020年11月3日にvol.3公演は行われた。やはり感染症の渦中だったため、客席を半数に減らしての上演だった。だが、JーLODliveの助成金を受け、英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、ハンガリー語の字幕を付け映像配信も行った。オペラ「セビリアの理髪師」を江戸時代に置き換え、五耀會(西川箕乃助、花柳寿楽、花柳基、山村友五郎、蘭黄)で何度も上演してきた『徒用心』を、女性舞踊家たちがカラフルな衣裳で熱演。ゲーテの「ファウスト」原作の『禍神』は3度目の上演だった。ファウスト、メフィストーフェレス(禍神)、マルガリーテ(雛菊)ら7役以上を蘭黄1人で踊る30分強の作品。初演から10年を経て、演技に迷いはなかった。体力的にかなりハードなので「これで踊り納め」と自身に言い聞かせながら稽古していたが、終演後には、「もう一度踊りたい」と語っていた。
vol.4公演のため2021年秋にも会場は押さえていたが感染症が再び蔓延し、先も見通せなかったため止むなくキャンセル。しかし、委嘱されていた作品の披露が相次いだ。その一つが北九州市の市民の方のために創った『鳥獣戯画EMAKI』。
依頼時には躊躇していた題材だが、調べるほどに面白さは増した。また、延期となった海外公演用に企画していた『変身』も、ピアニスト佐藤卓史との出会いで完成させ、贅沢にも氏の生演奏で初演することができた。
どちらも、「是非再演したい作品」、ということで、vol.4公演のプログラムは決まった。『鳥獣戯画EMAKI』は、プロの舞踊家で、と考えた。前回の『徒用心』メンバー(花柳喜衛文華、楽彩、藤間聖衣曄、鶴熹、蘭翔)に加え、祖母や、母の代からの弟子の3人(藤間藤逸、藤笛、蘭青)はそれぞれの役と共に、すんなり決まった。狐役は、じつは北九州に向けての創作時期から「狐のイメージは山村光さんにぴったり」と話していた。大阪が本拠の彼女に思い切ってオファーすると快諾。こうして出演者が決定した。北九州での初演時と作品の流れは同じだが、改訂版として上演。北九州市民の皆さんの、弾けるようなパワーに匹敵する「プロならではの見せ方」を追求した。
『変身』は、初演時より楽曲を増やした。そして衣裳を新調した。着物と袴という「素踊り」のスタイルだが、そのどちらをも、蘭黄なりの「こだわり」を持って選んだ。日本舞踊版『変身』の本格的な上演となった。
日本舞踊版『変身』は、この後、2022年秋に、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、フランスでも上演。どの会場も大きな拍手に包まれ、「一人の舞踊家が、男性にも女性にも、そして虫にも『変身』することに心底驚いた!」と何人もの観客が興奮気味に語ってくれた。
日本舞踊の可能性vol.4 第2部 変身 より
撮影:©テス大阪(岡村昌夫)
日本舞踊の可能性vol.5 第2部 信長ーSAMURAIー より
撮影:©瀬戸秀美
Vol.5の主要演目決定は、2022年12月にかかってきた一本の電話がはじまりだった。
「『信長-SAMURAI-』は、もう上演しないのですか?」
その年の2月にロシアがウクライナに軍事侵攻したというショッキングなニュースが飛び込み、ロシアのアーティスト招聘は現実的に不可能な状態が続いていた。再演はもちろん望んでいたが、「無理」と思い込んでいた。その電話は、「思い込み」に揺さぶりをかけた。まずは岩田に連絡を取った。すでに舞台に立つことが少なくなっていた彼は「僕は踊ることができるかどうかわからないけど、精一杯応援、協力します」。続いてルジマトフに電話をすると、「上演すべき。もちろん踊る」。演奏者やスタッフに打診すると、一様に驚かれ、そして「嬉しい」という言葉と共に応諾。決意は固まった。9月にロシアでリハーサルを行い、10月に2日間公演を決行した。4年ぶりに来日したルジマトフは、還暦を迎えたばかり。岩田はSNSで、この公演が「人生最後の舞台」と発表した。
2015年に初演し、15、16回目の上演となった『信長-SAMURAI-』は、特別なエネルギーに満ち溢れていた。同時に披露されたソロ作品もドラマティックだった。岩田の『生きる』は、彼の叫びであり、ルジマトフの『レクイエム』は芸術家の苦悩を描き出した。蘭黄は、古典の様式美で見せる『松の翁』を踊った。「可能性公演」で古典を正攻法で踊るのは、彼なりの挑戦だった。大いに盛り上がった公演を終え、ロシアに帰国する直前、ルジマトフは蘭黄に、「第一部のソロが素晴らしかった」と言った。十年ほどの付き合いの彼らだが、『信長』のウェイトが重く、日本舞踊作品については話題に出たこともなかった。おそらく、動きの意味などルジマトフは理解していないが(理解しようともしないが)、日本舞踊の力は感じたのだろう。それは、日本舞踊の可能性公演を5回続けた結果の一つに思える。
桜井多佳子
日本舞踊の可能性vol.5 第1部 松の翁 より
撮影:©テス大阪(岡村昌夫)
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